今日のこと。

ほとんど今日のことではありません。

容赦ないトルコの子どもたち

初心者の質問は怖い。

 

前提を共有している人や少しでも知識がある人からの質問はある程度予想できるが、初心者はそうはいかない。こちらの真の理解度が試される。

 

以前、友人に簿記を教えていたときのこと。1つの取引に対する仕訳を、貸方と借方の両方に書くのだと説明したところ、「2つ出来上がるの?」「なんで2つ作ろうとするの?」という質問を受けた。

 

この質問は、簿記の概念に対する質問だと思う。理解の前の、概念の話。

 

私が簿記を勉強したのは大学1年生のときで、最初に概念を掴むまでが最も苦労した。彼女と同じように、全ての物事に2つの側面があるって何?どういうこと?と、パニック状態。そういえば、全く同じこととを疑問に思っていたのだった。

 

私たちは、一度その概念を掴むと、掴めなかった頃の感覚をもう思い出せない。

 

だから、先生ってすごいと思う。

わかる人がわからない人に教えるなんて、絶対たいへん。ちょっとわかる人に知識やスキルの肉付けをするのならまだしも、最初の最初の最初を教えるのは難しいよー。

 

私には、今までに答えられなかった質問がたくさんある。

 

たとえば、トルコの保育園を訪れた時のこと。

即興で日本語講座をしてほしいと言われ、挨拶をいくつか教えた。

 

先生が「じゃあ、質問ある?」と問いかけると、みんな元気よく手をあげる。

 

「はい、じゃああなた」と指さされた女の子は、「私、うどん食べたことがある」と言った。質問でさえない。なんでもアリ。

 

「他には?」と次に指をさされたのは男の子。

彼は元気よくこう言った。

 

「なんで、日本人の目は小さいの?」

 

そして、両目を横に引っ張って、「こんな感じ」と見せてくれた。

 

 

それもきっと、概念の話だろう。

 

日本人がトルコ人と違うということがわかれば、あとはスルスルっとペルー人も違う、カナダ人も違う、と分かるはず。でも、みんな一緒なんだよと。

 

私は、彼が概念を掴むのに十分な答えが出せなかった。実際のところ、なんて答えたのか覚えていない。

 

でも、彼にとって、日本人がその概念を掴むきっかけになってくれたら嬉しいなーと思った。

 

目が小さいか〜。やっぱり、質問って怖い。

 

元気なトルコの子どもたち

元気なトルコの園児たち