今日のこと。

ほとんど今日のことではありません。

田中先生の話 Vol.1

高校3年生のとき、なぜか何をしても田中先生から褒められてしまう時期があった。田中先生というのは国語の先生で、2年生のときの担任。私と同じ歳の娘がいる男の先生だ。

 

きっかけは、放課後の部活終わりのことだった。

同じ卓球部の友達が、部室の前を通りかかった田中先生を発見。先生に余ったお茶をコップに注いで持って行こうということに。2年生の時の担任ということもあり、たまたま私がお茶を持って行ったのだが、それにえらく感動されてしまい、翌日から「諫高(かんこう)*1の宝」と呼ばれるようになった。

 

その日以来、私は何をしても褒められた。

たとえば休み時間にパラパラと教科書をめくっていただけで(読んではいなかったのだが)、「野中は予習をしている。えらい」と褒められた。

一方、そのとき一緒に話していた友人は「受験に対する危機感がない」と叱られたので、全く腑に落ちていない様子だった。

 

ちなみに彼は私の逆パターンで、何をしても叱られた。ある時は窓の外を見ていただけで「ボーッとするな。もし今日親父さんが亡骸で帰ってきたら、お前が大黒柱なんだぞ」と、謎のロジックで叱られていた。

 

私は私で、褒められ続けることを止められなかった。

別の日には、水筒に冷水機の水を入れているところを見られ、早速次の国語の授業で、「さすがでした。野中は冷水機の水を水筒に入れていた。お茶を買うお金があれば、蛍光ペンが買えるもんな?」と、やはり謎のロジックで褒められた。

 

ちなみに田中先生はいつも分厚い手帳を持ち歩いており、そのノートにはうけもっている生徒全員の成績の推移が手描きの折れ線グラフで記録されている。

さらに出席率や最近の動向なども細かく記入されていた。たとえば「内村はシューズのかかとを踏んでいる」とか。(チラッと見えた)

 

あのノートはトラベラーズノートの先駆けなのではと思うほどカスタマイズが施されており、ビッグデータの先駆けなのではと思うほどデータ量が膨大だった。

 

先生は今も私を諫高の宝だと思ってくれているのだろうか。もし忘れていたら、自分だけが覚えているってなんだか恥ずかしいけど、一度与えられた称号なので、これからもずっと諫高の宝を背負って生きていこうと思います。

 

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*1:諫早高校の略