1月1日、次男が産まれた。
出産予定日はクリスマスだったが、なかなか出てこず、年末最後の妊婦健診で「年明けに入院して、誘発するかバルーンを入れるか考えましょう」と医師に言われていた。以来、夜な夜な「バルーンとは」などと検索してビビりまくっていたので、お腹の中の赤ちゃんが「そろそろ出てきてやるか」と重い腰をあげたのだろう。
2025年の大晦日の夜、義理の両親が長男を連れてお泊まりしているという、ベストなタイミングで陣痛がきた。
出産時、夫は立ちあいを希望していたが、4歳の長男も立ちあえるだろうかと心配していたのだ。産院の先生には「4歳なら問題ない! 立ちあえますよ」と言われていたが、私のお産は恥ずかしながら絶叫系なので、無理だろうなと薄々感じていた。
なので、今日を逃したら立ちあい出産は叶わないぞという、まさにその日に産まれてくれたわけで、産まれる時から親孝行な子よ。
31日、陣痛に耐えながら紅白を見、年を越し、いよいよ我慢できなくなった明け方4時に夫と一緒に病院へ行った。そのまま分娩台に上がり、陣痛がくるたびに夫が腰をさすってくれた。
ふと、夫は陣痛がくると足元のモニターに映し出される波形が一気に波打ち、私が「痛い痛い」と痛がるほど、数値が高くなることに気付いたらしい。
後になって、その波形と数値は子宮の収縮度を表していると知るのだが、陣痛がくるたびに夫は「今のは68」「70超えた」などと毎回数値を知らせてくるので、本当にどうでもいいなと思いながら聞いていた。
しかし、次第に私の方こそ数値が気になりだし、「今何だった?」「今のは痛かったから結構いったでしょう?」「全然痛くなかった…え、80超えてたの?」「今のは?」「ねえ、今のは??!!!」と、数値を欲しがった。さっきまで、モニターばかり見ている夫に「私を見ろやい!」と思っていたのに。
そのうち数値がどんどん高くなり、子宮口もほぼ全開というところで、助産師さんに「では、いきんでいきましょう」と言われ、体勢を変えるよう言われたのだが、いきむ体勢を知らなかったのであわあわ。
今思えば、長男を出産するときは、いきむ前の「いきみ逃し」といわれる段階で産まれてしまったのだな。だから、医師や助産師が慌てていたのだなと理解した。トゥルンと産まれたものね。「いきむ」なる行為を、次男の出産で初めて知り、体験したのだった。
何回かいきむ練習をして、さて本番! となると、夫が産まれる瞬間を見なければと思ったのか、私の足元近くへ移動しようとし、その度、助産師さんに「お父さんは頭の方まで下がって!」と制されていたのがなんともおもしろかった。
何度かいきんだ後に息子は無事産まれ、夫は「感動した」と涙目だったものの、「頭の方にいたから、産まれる様子が全く分からなかった」とぶつくさ言っていたが、後日、会陰切開について話すと、ひきつった顔で「やっぱり足元にいかなくて良かった」と安堵していた。私だって見られたくないわい!

退院後、夫はしきりに「4時間立ちっぱなしで、ふくらはぎが筋肉痛。いや、これ筋いったわ!」などと、立ちあい出産がいかに大変だったかを語る。私としては、それ数値でいえばなんぼのものよ! こちとら出産しとるんぞ! という気持ちなのだが、優しく微笑みながら(というか、半笑いで)「うんうん。大変だったよね」という。出産した妻に対して筋肉痛を訴える夫というのはなんともおもしろい。
あれほどモニターの数値を一緒に追い続けたのに、やはり痛みを共有することはできないのね。きっと、アステカ式でも取り入れない限り、理解してもらえないのね。

そんなことを思いながら、あっという間に過ぎてしまう毎日を過ごしております。