出産のことを記録しておこうと思ったけど、なんだか忘れてしまった。
とにかく息子がお利口さんだった。
出産前にこれはやるぞ!というリストを作ったのだが、「母といちごビュッフェを食べに行く」という4月9日の予定をしっかり終えたその夜に陣痛が始まったので、リストを全てクリアするのを待っていてくれたのだと思う。
その後、明け方に陣痛が10分間隔になったのを待って病院に行ったが、「お産はまだですね〜」と言われ、家でお産が進むのを待つことに。
このとき既にかなり痛かったので、帰らされた絶望感たるや。「この痛みでまだと言うなら、私本番死ぬよ!?」と思った。
追い討ちをかけるように、先生が「じゃあ、また月曜日の検診で!」と言うので、2日待たなきゃいけないのか驚愕したのを覚えている。
そういうわけで一旦は家に帰ったのだが、その後も定期的な痛みは続き、結局一睡もできなかった。
朝がきて、昼が過ぎ、夜になったあたりで「もうダメかも…。月曜まで待てないわ」と思い、20時半に再び病院へ行ったところ、「あらら。子宮口7センチ開いてるね」とのこと。
助産師さんに恐る恐る「あの…。これって陣痛ですか?」と聞いたら、「立派な陣痛ですよ!」と言われたので、ああ。月曜日まで待たなくていいのかと安堵した。
話は出産の1週間前に遡るが、妊娠37週に入ったところで、私は妊娠高血圧症候群になった(原因は食べ過ぎによる太り過ぎ)。それで一時入院し、血圧が落ち着いたので退院できたのだが、いざ分娩台にあがると痙攣が始まったので、先生から「うちでは対応できないので、今から救急車を呼びますから総合病院に行きましょう」と言われた。
かかりつけの産婦人科は、産後の病院食が豪華で、お祝い膳はステーキやお刺身だと聞いていた。ピザや大福などの夜食もあり、オイルマッサージも受けられるらしい。それがとても楽しみだったので、総合病院に搬送されると言われて真っ先に「ステーキやマッサージはどうなるんだろう…。」と泣きそうだった。
そんなこんなで人生初の救急車に乗り、22時頃に総合病院へ到着。
私はB群連鎖球菌が陽性だったので、左手にその点滴を、右手に痙攣を抑える点滴をして、これまた人生初(と思われる)点滴を体験した。
このとき母が病院へ荷物を届けてくれたのだが、主治医から「高血圧は母子ともに負担が大きいので、場合によっては緊急帝王切開になる可能性があります」と言われ、心配して泣いたらしい。ごめんね。
主治医の先生が分娩室にやってきて、子宮口が8センチ開いていると言っていた。
22:30になって助産師さんがもう一度子宮口を確認すると、なんと既に全開していたので、早く産んでしまいたい一心でいきんだのだが、「お母さんの体力がなくなると、いざ産もうというときにエネルギー切れしちゃうのでリラックスしましょう」となだめられた。
赤ちゃんが上手におりてきてくれたので、助産師さんが「思ったより早いかも。日付が変わる前には産まれますよ」と笑ったのも束の間、「あらら。出てきてる」と慌て出し、主治医が着替え終わると同時に息子がトゥルルルンと産まれた。
日付が変わる前に産まれますよと言われた、15分後の22:44のことだった。
と、ここまで書いてみると、意外とちゃんと覚えているなと思う。
産婦人科の先生に、何度も「太り過ぎは良くないよ!」と注意を受けてきたけど、出産を通して医者の言うことは守らないといけないと学んだ。
ということで、医者の言うことは守りましょう。