大学生のとき、経済学部のキャンパスにある掲示板前の階段から落ちて、尻もちをついたことがある。
まわりに人はたくさんいるものの、友人は誰もおらず、みんながこちらを哀れな目で見て(おそらく)心の中で同情したり笑ったりしていた。
恥ずかしい。
絶対に誰も覚えていないのだけど、本人である私はあれから10年が経とうとしている今でも鮮明にあの日の、あの空気を、あの視線を、あの「これが『穴があったら入りたい』という状況か!」と悟ったことを覚えている。
恥ずかしい。
私はどうでも良いことを、本当によく覚えている。高校の友人に「こういうことあったよね」と言うと、みんなよく覚えているねとびっくりする。
例えば、3年のときの副担任の先生がバレンタインデーに息子(サトシ)と作ったクッキーを持ってきてくれたことや、その副担任の先生の家の庭から謎の壺が発掘されたこと、その副担任の先生の趣味が英和辞書を「a」から順に読むことなど。
高校の同級生に会うたびこの話をするのだけど、みんないつも次に会うときには忘れているので、何度同じ話をしても「よく覚えてるね」と感心してくれる。それはそれでありがたい。
さて、話を戻すと、私がふと大学の階段から落ちたことを思い出すとき、これまでの恥ずかしい出来事が次から次に思い出されてしまう。
例えば、小学5年生の帰りの会。
毎日帰りの会では「今日の良かったこと」と「悪かったこと」を発表するのだけど、自分の誕生日に私は手を挙げ、「今日私の誕生日なんですけど、プレゼントだと言ってティッシュを投げられました」と謎の誕生日アピールをした。
さらには気を利かせた日直2人組が「せーの、野中さんお誕生日おめでとう」と言って、これまた謎に感極まって泣いたのだ。
絶対に誰も覚えていないこの自作自演を、私は今でも覚えている。日直の子の名前だって覚えている。(新宮くんだ)
今でもこうして思い出しては、恥ずかしさのあまり枕に顔を埋めている。この恥ずかしさから脱却するためには、いっそ誰かに話してしまえば良いのでは? というわけで書いてみた。
あくまで私の「恥ずかしい過去」からの解放が目的なので、本当にどうでもいい話で申し訳ないです。
ちなみに1番恥ずかしい出来事は、本当に本当に恥ずかしいので、帰省したときに妹にだけ打ち明けた。案の定、爆笑。
こういう恥ずかしい話って、なんだか笑えるんだよね。
辛いことも、あとから笑い話になったりするので不思議。でも本当に辛いときは助けを求めることも必要だと思うので、辛いよーというときはご一報ください。
恥ずかしい話、コソッと話します。(2つあるよ)
あ、バンコク生活スタートしました〜