今日のこと。

ほとんど今日のことではありません。

黒歴史があっても地元は最高

黒歴史という言葉があるけど、私はきっと小・中・高、ずっと黒歴史でしょうね。大学も黒歴史かも。

 

私は思い出をずっととっておくタイプではないので、ほとんどのモノはもうこの世にはない。けれど、ひとつ(おそらく)残っているものがあって、それは高校3年生の時にクラスのみんなでやっていた交換日記です。

 

担任の先生がA4のノートを用意してくれて、出席番号順に1ページずつ好きなことを書いてまわすというもの。

みんな絵とか切り抜きとかを上手にデコレーション?して、最近あったことやハマっていることを書いていたけれど、当時の私はそういう表現がなんだか恥ずかしくて、思いっきり振り切った結果、黒いボールペン1色でノート1ページに淡々と宗教について書き殴ったのです。

 

それは、「イスラム教は、決まった時間にみんな一斉にお祈りするらしい。年に一度ラマダンの月には断食をするらしい。面白くないですか」みたいな内容で、全然面白くないのです。

 

そのノートはきっと今でも担任の先生が持っているので、先生が処分していない限りこの世に存在するし、急に先生が「集まろうぜ」と言い出して、10年ぶりくらいに集まったところで、酒の席でテーブルの真ん中にホイッと出されたら、それはそれは懐かしい、けれど穴があったら入りたいような気持ちになるんだろうなと。

そういう、いわば核兵器みたいな、チラつかせるけど実行はしないよね?みたいな最終兵器になっていて、なぜかそれに怯えるこの頃。

 

年末から帰省して、高校の友達に(数人)会ったけど、なんだかんだ地元に残っている人たちもいるんだなと思った。大学を卒業してから一時は県外に出て行ったけど、転職のタイミングで帰ってきた子たちも多くて、やっぱり地元はいいなと思う。

 

最近は病院の先生にきつく減量するよう言われていて、毎日1万歩を目指して歩いているけど、商店街を歩いていても誰にも会わない。

諫早、大丈夫なのかと思うくらい、誰にも会わない。

会わないけれど、ここで同級生たちがたしかに生活しているんだな〜と思う。

 

「地元はどこですか」と聞かれて、何も考えずに「長崎です」「諫早です」って言えるって、贅沢だよなと思った。地元があるって良い。

 

私の子どもは、長崎で生まれて、3歳までタイで育って、それから神奈川で…とかなんとか言うのだろうか。

黒歴史でも良いから、いっぱい思い出つくってほしいと、そんなことを思った。