忘れないうちに書いておこう。
何年前だったか。まだ結婚する前だから、おそらく2016年頃だったと思う。
長崎で一人暮らしをしているとき、前年に商店街で出会ったトルコ人のアイシェがその年も観光で来日するというので、長崎にいる約2週間、うちをホテルがわりに使って良いよと合鍵を渡したことがある。
彼女は私が仕事の間は家を出て、買い物や観光をしてまわり、夕方帰宅。夜は一緒にご飯を食べるという毎日を過ごした。
ある日、「今日は図書館でタケさんに会った。みさきさんにも紹介したい」というので、どんな人なのかというと、80歳くらいのおじいさんで歯は1本しかなく、カランカランと鳴る靴を履いているという。
さっぱりわからなかったので、とりあえず、いつか機会があれば会わせてほしいと言った。
翌日、「今日はタケさんと動物園に行ってきた」という。
聞くと、アイシェはかねてより長崎にあるバイオパークに行ってみたかったようで、タケさんが「どこでも連れていくよ」と言ったので、素直にリクエストしたところ、バスで連れて行ってくれたのだそう。
カランカランの靴では園内を1周することは難しいので、「ここで待っているから楽しんでおいで」と言われ、タケさんは入り口で待っていたそうだ。
アイシェは「わかった」と言って、ひとり園内をゆっくり楽しみ、またふたりでバスに乗って帰ってきた。
そんなによくしてもらったのなら、一度会って私からもお礼が言いたいなと思っていた矢先、「明日の夜、長崎駅前のロイヤルホストでタケさんとご飯を食べることになったから、みさきさんにも来てほしい」と言われたので、快諾。
次の日は平日だったので、仕事終わりに長崎駅で合流する。
アイシェは先に着いており、タケさんは遅れるとのことだったので、先に店内に入り、中で待つことにした。
程なくして、タケさん登場。カランカランの靴は下駄だということがわかったが、歯が1本かはわからなかった。
タケさんは趣味で英語を勉強しているようで、英語を使ってみたいと思い、図書館にいたアイシェに声をかけたのだそう。「アイシェは優しい。日本人が忘れかけている心をもっている」と相当気に入っているようで、「そんなアイシェの友達なら、みさきさんもさぞ心が綺麗だろう」と、棚ぼたで褒めてもらった。
タケさんは下駄を履いている以外にも、やや古い感覚をおもちの方で、コーヒーなどは私やアイシェに持ってくるよう頼むのだが、お会計は自分が出すと譲らなかった。
私は、動物園の入場料やそこまでのバス代も出してもらっているんだし、アイシェと私で今回は御馳走しようと思ったのだが、財布を開けようとしたところ、突然鬼の形相で「NEVER!」と制された。
私が仕事の間、アイシェが一人で楽しめるのか不安だったが、まさか80代の友達をつくっていたとは。
タケさんは、携帯電話をもっていない。アイシェは毎日図書館へ行く。そうすると、約束してもいないのに、そこにはちゃんとタケさんがいるのだそう。「私に会いたかったら、図書館に来なさい」と言われたアイシェは、毎日会いに行き、コーヒーなどを一緒に飲み、夕方に別れ、また翌日会うという日々を楽しんでいた。
翌年のこと。
ふらりと図書館に立ち寄ったところ、私はそこにタケさんを見つけた。カランカランの靴を履いているので、間違いない。
「タケさんですか」と声をかけた。そういえば本名を知らないのだが、「アイシェの友達のみさきです」というと、「ああ、みさきさん。アイシェは元気ですか」と分かってくれたよう。
いまだに携帯電話を持っておらず、私に家の電話番号を教えてくれたが、アイシェはトルコからかけてくれるだろうか。「アイシェに伝えますね」と言って、メモを受け取った。
図書館へ行くことが日課だったタケさん。
アイシェが現れ、一緒にバスでバイオパークへ行ったなんて、彼にとっては一大イベントだったに違いない。
今も図書館に通っているのだろうか。元気にカランカランの音を鳴らしていてほしいなと思った。