20歳のとき、カナダ滞在中にミャンマー出身の僧侶と知り合った。彼は上座部仏教特有のオレンジの袈裟を着ていて、カナダではそれがえらく寒そうだった。
彼はダウンタウンの英語学校に通っていて、私はそこに通う友人を通して彼と知り合ったのだが、一度、彼がミャンマー料理を振る舞いたいと、日本人を何人か家に招待してくれたことがある。
早速友人たち3人と彼の家を訪ねると、迎え入れられるやいなや「今日は僕に触れないでね。仏教では女性は僧侶に触れたらいけないことになっているから」と言われた。
心配せずとも、私たちは誰も彼に触れようなんて思ったことがないのだ。
彼の年齢は不詳だが、おそらく10年前の当時で40歳前後だっただろうか。
僧侶の中でも位が高いらしく、弟子のような男性や家事全般を引き受ける女性たちと一緒に暮らしているようだった。
彼はカナダで上座部仏教を広めたり、教えを説いたりして過ごしているようで、何かの「マスター」なのだと言っていた。何のマスターなのかはわからない。
そういうわけで、さぞや禁欲的な生活を送っているだろうと思いきや、私たちにはこっそりと「彼女がほしい」「キスだって、隠れてだったらできる」という始末。「いずれは政治家になりたい」とも言っていた。
仏教では、欲が諸悪の根源なのでは?
彼はそこらへんの人より、よっぽど欲深い僧侶だった。
ちなみに私たちが帰国した後、彼のFacebookには高級車の前で女性と肩を組む写真がアップされており、僧侶ではなくなった模様。そんなこともできるんかい。
そういえば、タイ語のクラスにシスターがいたけれど、彼女も「もしシスターでなければ、ガソリンスタンドを経営したい。あれは儲かるはずよ」と言っていた。
どんな人でも、欲はあるもの。
お金だって、ないよりあったほうがいい。
しかし、僧侶のマスターが「隠れてだったらキスもできる」というのは、絶対に言ってはいけないのでは?
私たち日本人は戸惑ったものの、美味しいミャンマー料理を平らげて彼のお家を後にした。
食欲万歳である。