今日は長崎のお茶の先生に、電話で一時帰国していることを報告した。なんだかんだ、短い帰省でも毎回会いに行く唯一の人かもしれない。
会いたい人はいっぱいいるんだけど、義理の実家にも行きたいし、長崎で夫をひとり放ったらかしにはできないし……と考えると、ね。(実際のところ、夫は学生時代を長崎で過ごしているので、ひとり放ったらかしは問題ないのだが)
その点、お茶の先生には会いやすい。
ご挨拶に伺うと「一服どうぞ」と言われるのがお決まりなので、手土産もお茶菓子と決めていて迷う必要がない。ゆっくりお茶を頂いて近況報告などを話したら、長居することなく失礼する。
夫も学生時代に茶道を習っていたらしいので、一緒に行くことも。先生が「ご主人も点ててみますか」というので笑って流そうとしたら、「それでは」と言っていそいそと準備を始めたので驚いたこともあった。
学生時代以来、何年ぶりに亭主の席に座ったのだろうか。それでも不思議と体は覚えているものらしく、座ると自然に手が動いたと言っていた。
私は夏と冬で毎回ゼロに戻るのに。
こうしてみると、改めてお茶って良いなと感じている。自分の家に茶室があれば尚良い。
以前、近所のおじいさんたちが月に数回集まってはお茶会を開いていると聞き、粋な老後の過ごし方だなと憧れを抱くようになった。
お茶を教えたいと思ったことはなく、お月謝を払って習い続けるのもいつかはストップするかもしれない。けれど、理想は近所にお茶仲間が何人かいて、その人たちと月に数回集まってはお茶を点てて解散する。そんな老後を送れたら幸せだと思う。
こういう絶妙に向上心がないお茶好きの仲間って、見つかるものだろうか。(低いけどなくはない向上心がポイント)
お茶室を設えるのは大変だろうから、せめてお客さんを呼べるような家に住みたい。
家族だけではなく、近所の人や友人とも交流をもち続ける老後を送りたい。
老後っていつくるんだろう。楽しみ。