2019年からタイで暮らし始め、里帰り出産の期間を除くと、タイ生活も3年になろうとしている。あっという間と言いたいが、実際のところ「それなり」だ。ほとんどの期間が、コロナだった。
今年の夏、年内に本帰国することが決まった。タイにいる間にやりたいことをリスト化したら、約30項目のリストができた。そのひとつが、ラオス・ルアンパバーンへの家族旅行だ。
ルアンパバーンは、日本からの直行便が出ていない。そのため、バンコクやハノイで乗り継ぐ必要がある。「アジア最後の秘境」と言われ、欧米人のあいだでは人気の観光地らしい。まち全体が、世界遺産になっている。
これは、タイにいるうちにぜひとも訪れたい!
というわけで、先日、2泊3日でルアンパバーンへ行ってきた。
ルアンパバーンといえば、そこかしこにお寺があり、まち中をオレンジの袈裟を着た僧侶が歩いている、仏教のまち。夕方になると、僧侶がお寺の鐘をリズミカルに鳴らし、それがなんとも心地いい。
毎朝5時半頃から「托鉢」が行われていることも有名だ。「托鉢」というのは、僧侶がまちを歩き、人々から食料や現金などのお布施を受けること。修行のひとつらしい。私は息子を夫に任せ、ひとり早起きして托鉢を見に行った。
事前にルアンパバーンのウェブサイトを見たところ、仏教や僧侶、それを信仰する人々へのリスペクトがあれば、観光客でも托鉢に参加して良いとのこと。通りには、観光客向けの托鉢セットが販売されている。参加しようとは思っていなかったが、大通りへ出たところで托鉢セットの売り子さんにつかまり、あれよあれよという間に購入。1セット、100バーツ(約400円)。
セットの内容は、カオ・ニャオと言われるもち米がたっぷり入ったカゴと、個包装のお菓子が15個くらい入ったバスケット。それからペットボトルの水と、肩からかける長い布。
お金を払ったら、セットに入っている布を肩からぐるぐる巻かれ、通りに敷かれたゴザに、靴を脱いで座るよう言われた。
ゴザの上にはすでに4人組の女性たちが座っている。「サバイディー」とラオスの言葉で挨拶すると、「こっちへ座りなさい」とタイ語で話しかけられた。観光に来たタイ人らしい。タイもラオスと同じ上座部仏教の国なので、托鉢は、観光の一環ではないのだろう。私がどうしたものかとまごついているのを見かねて、手取り足取り、やり方を教えてくれた。
お姉さまいわく、托鉢する際は、僧侶より低い位置で行わなければいけない。そのため、正座かお姉さん座りか、椅子に座る必要がある。あとで地元の人が托鉢しているのを見たら、みんな托鉢用の「マイ折りたたみ椅子」を持っていた。
そして、僧侶と目を合わせてはいけない。僧侶は女性に触れてはいけないと決まっているので、身体はもちろん、僧侶が持つ「鉢」にも触れてはいけないらしい。
いよいよ僧侶がむこうの方からやってくると、みんなもち米やチョコレートバーのバスケットを頭に掲げてお祈りを始めた。私も見よう見まねでお祈りをする。何を言えば良いのか分からないので、今健康であることに感謝して、これからの暮らしをどうぞ見守っていてくださいと祈ってみた。
そして、列になってやってくる僧侶に、ひと掴みのもち米とチョコレートバー1袋を一緒くたにして「鉢」に入れる。現金だけは、別のお皿のような容器の上に置くのがルールらしい。何もかも一緒に入れた「鉢」のなかで、もち米はどんなふうになっているのだろうか。
次から次に僧侶がやってくるので、こちらも次から次に入れていく。僧侶は寺ごとにグループをつくってやってくるらしい。年長者を先頭に、ひとグループ10人くらい。最後尾に並ぶのは、小学校低学年くらいの若い僧侶だ(若い彼らを僧侶と呼ぶのかは分からない)。
2グループの僧侶たちへの托鉢が終わると、手持ちのもち米とチョコレートバーがなくなった。この日の托鉢は、ここで終了。
最後に、ペットボトルの水をその辺に生えている植木にかけた。「命に感謝して水をかけて」と、お姉さまが教えてくれなければ、私はその水を持ち帰っていただろう。「私が飲む用かと思いました」と言うと、お姉さんは「マイチャーイ(んなわけあるかーい!)」と言った。
托鉢している途中、観光客が地元の人に「これはなんのフェスティバルですか」と聞いていた。地元の人は「これは『タンブン』といって、毎朝やっているのよ」と答えた。観光客は「毎日?」と驚き、写真や動画を撮っていた。
その日の夕方、ルアンパバーンの観光名所である「プーシーの丘」をのぼり、丘の上からまちを見下ろした。ルアンパバーンには、本当にたくさんの寺院がある。そして、茶色く濁ったメコン川がゆったりと流れている。
そのメコン川を、大小さまざまな舟が行き交っているのだが、エンジンをつけずに川の流れに任せて漂っている舟があり、息子はその舟を指差して「うごかないね」と言った。私は、「ゆっくり動いているよ」と言ったけど、息子はキョトンとした顔で、もう一度「動かないね」と言った。
プーシーの丘をおりる途中、音楽のような声が聞こえてきた。それは僧侶たちの読経で、小屋のような建物から漏れていた。
夕方の鐘の音も、早朝の托鉢も、夕暮れ時の読経も、きっと毎日欠かさず行われているのだろう。
私たちのような観光客にはそれが物珍しく、フェスティバルのように感じる。でも、私たちが写真や動画に切り取ったのはほんの一瞬で、実際には毎日毎日繰り返されている一部に過ぎない。
観光客が来なくとも、誰に見られていなくとも、繰り返されるひとつひとつが、その土地の文化であり、歴史になっているのだなと思った。
帰りの飛行機で、村上春樹の『ラオスにいったい何があるというんですか?』を読んだら、村上春樹も「托鉢」を体験していた。村上春樹と同じ体験をしたのだと思うと、心なしか満足度が上がる。
最近は、旅のエッセイや旅行記、海外在住者によるエッセイ漫画を読むことが多い。
沢木耕太郎と斎藤工のポッドキャストもおもしろかった!
特別対談・斎藤工×沢木耕太郎:Apple Podcast内の前編~特別対談・斎藤工×沢木耕太郎
沢木耕太郎さんのハワイの過ごし方が、とても良かったです。
ハワイにもいつか、行ってみたい。