私が通っていた高校は、2006年当時で、携帯の「所持」が校則で禁止されていた。他の学校は、ほとんどが、所持は良いが学校に持ってくることはダメだったはず。とはいえ、私たちだってみんなこっそり持っていた。
高校3年の夏。体育祭の後、クラスメイト10人くらいでようこの家に泊まりに行こうということになった。ようこの実家、広いんです。
そんな計画をたてていたら、「体育祭の日は外泊禁止」だと先生が言いだした。タバコや酒などの悪い行いは、学祭や体育祭の後によくあることなのだそう。誰がそんなことするものですか。先生、私たちは皆、スカートの丈がスネまであろうかというほど真面目ですぞ。
というわけで、私たちは、中止することなく計画実行したのです。
ようこの家は、学校から少し離れているので、各自親に車で送ってもらわなければいけない。でも、初めて行くので、場所が分かりづらい。では、近くの市民体育館に集合してはどうだろう。
市民体育館へ集まって、ようこのお母さんが、体育館と自宅を往復し、ピストン送迎してくれることになりました。
体育祭が終わり、「じゃあ、体育館でね〜。またね〜」と学校で分かれ、各自家でご飯を食べて風呂に入り、あとは寝るだけ。ようこのお母さまには迷惑かけませんというスタイルで、意気揚々と体育館に向かうと、なんとようこのお母さんが待っているはずの駐車場に、先生たちがいるではないか。
なぜ、私たちの待ち合わせ場所をピンポイントで知っているのだ!「じゃあ、体育館でね〜。またね〜」を聞かれていたのか?
私たちは、蜘蛛の子を散らすように、おもいおもいに走り出し、館内や屋外の女子トイレの個室に隠れたのです。
しかし、全員が一斉に隠れたのだから、誰も外の様子が分からない。まだ外に先生がいるのかどうか。いるのなら出ていけないが、出なければいるのかどうか分からない。手元の携帯を見ると、同じように体育館のどこかの個室に隠れている友人から、「怖い怖い怖い怖い怖い怖い」というメールが届いていた。そのメールが一番怖かった。
私はトイレの壁を見つめ、必死に見つかった時の言い訳を考えていた。体育館ではママさんバレーの練習が行われていたので、その中の適当な人を家族や知り合いだと言って、練習についてきたと言おうか。
そのような言い訳をあれこれ考えていた時、個室のドアがノックされ、「もう外は誰もいないよ」という声がした。私は、これはトラップなのではと疑い無反応をきめこんでいたが、間違いなく友人の声だと分かり、外へ出た。終戦後も20年以上ジャングルに潜伏した、横井庄一さんの気分だった。
そして私たちは、ようこの家でワイワイやった。
確かアルコールはその場になかったが、テンションは確実にシラフのそれではなかったので、記憶力に定評のある私でもさすがに覚えておりません。
これだから、体育祭の後は集まってはならぬのだ。